クラスメートとマルチカルチャー

takeuchimakoto2005-02-17

 僕が通っているクラスには先生が2人いる。
 月火金がスーザン(♀)で水木がマーク(♂)、マークの喋る英語の方が圧倒的に聞き取りやすい上に親切なので人気が高い。クラスメートによるとスーザン先生はアイリッシュ訛りが強いんだそーで、僕が初日に面食らったり指示が理解できずにまごついたりしてたのもそのせいかもしれない。(無論、基本的なリスニング能力の低さが一番の原因だけど)
 ともあれ、向学心に薄い僕はたったの2週間しか受講してないので、明日で授業もおしまい(一応グラジュエートと呼ばれてるようだが卒業と訳すのは我ながらおこがましい)。マーク先生の授業も今日で最後である。


 そんな日にしたのは野外実習。というか何とゆーか、“今ちょうどパースインターナショナルアートフェスティバルってのをやってるから、外に出て見に行こう”とのこと。午前の授業を1時間ちょっとやった後、みんなでぞろぞろと郵便局前の広場や駅の向こうのアートギャラリーの方に歩いていく。
 いろんな人種(やはりアジア系が多い)でいろんな国籍(なぜかスイス人が多い)でいろんな年齢(おそらく僕が最年長)のクラスメートたちが、まとまりのない感じでだらだらと歩いてる姿っていいものだ。小中学校のころ、何かとやかましく注意されながら集団で歩かされてたのって何だったんだろうとふと思う。
 (ちなみに今日の画像の、画面奥にいる長身の人がマーク先生で、他に写ってる人物は全員クラスメート。とりあえず同じ方向に向かってはいるが見事にまとまりがないとこが素晴しい)


 まあ海外旅行自由化当時じゃあるまいし、今さら“外国ではこうなのに日本はこうだ”なんて言い方をするのもどーかと思うけど、僕は単純に不思議なのだ。
 こないだ行ったプールでも思ったのだが、あんまり注意書きって見かけないし監視員ものんびりしててあまり客に注意したりしない。だいたいこちらの公的空間には注意書きや張り紙の類が極端に少ないのだ。英会話の苦手な僕はそのせいで困ることもあるくらいだが、ある程度は好き勝手にやってて構わない社会ってのはなかなか心地いいのも事実。
 それでは秩序が保てないからってんで、あれやこれやと禁止事項が設けられたり人々に注意する役目の人が働いたりするのだろうが……「ほったらかしといてもそれなりに秩序が保たれる確率」って、オーストラリアよりも日本の方が高いんじゃなかろうかってのが僕の感覚なのだ。
 無言のうちにみんなと同じにしなさいっていう同化圧力が働く日本より、流刑植民地から始まって多文化他民族社会へと移行しつつあるこの地の方が、ずっと混沌とした印象がある。その国で注意や張り紙なしで大丈夫なんだったら、日本だってもっと放っといていいんじゃないかなーとふと思ったりしている今日この頃。


 もっとも、これは文化や社会の問題じゃなくて、過密の問題なのかもしれない。
 なにしろパースって、社会インフラの充実のわりに人口密度はえらく低いのだ。そのおかげでいろんなことがのんびりしてるのかなーと、10人ほどのクラスメートのそぞろ歩きを見ながらふと思った。