『村上モトクラシ』と出題頻度ランキング
村上春樹のブログがあるって噂を聞いて見に行ってみた。↓
http://d.hatena.ne.jp/motokurashi/
安西水丸画伯のイラストが使われてるので一瞬おおっと思ったが、公式サイトではあっても本人がブログに何か書いてるってわけではない。新潮社スタッフと読者でわいわい四方山話って雰囲気のサイトのようだ。
中にはアンケート企画なんてのもあって、どうやらはてなダイアリーのアンケート機能を使っているらしい。僕もユーザー登録してる身だが、そんな機能があるなんて初めて知った。オーストラリアから日記と画像をアップするのが目的でブログを始めたもんで、関係ないことは全然知らんのだ。
で、そのアンケートの質問がなかなか興味深かった。
1・あなたが初めて村上さんの作品を読んだのは何歳のときですか?
2・初めて読んだときの第一印象はどんな感じだったでしょうか?
おいらの場合はどうかなあと考え、「1・17歳の時 2・わけ分からなかったけど文章や台詞が面白かったんでがーっと飛ばし読みした」なんてことを思い出した。まあそれはそれで懐かしかったんだけど、面白かったのは2番の設問の選択肢。
一目惚れ的に好きになった
面白い。気づいたら読み終わっていた
徹夜して読んだ
時間がかかったけど面白いと思った
理解するのにちょっと苦労した
よくわからないけどなんとなく好き
はじめはわからなかったけど読みつづけてはまった
実に、7項目のうちの3つまでが「分かりにくい」ってのを前提にしてるのだ。残り4つだって決して分かりやすいとは言ってない。僕自身も分からなかった(今だってまともに理解してるのか怪しいもんだ)だけに、その偏りっぷりに妙な共感を覚えてしまった。
ハルキ文学というのは分かりにくいってのがある種のコンセンサスになってるのかもしれんし、だからある種の人はヒステリックに嫌うのかなって気もする。でもそういう考え方の前提にあるのって、「小説を読んだら理解しなくてはならない」という強迫観念のようで首を傾げてしまう。間違った国語教育が「作者の言いたいことは何か答えなさい」と強要するからそういう息苦しさが生まれてるんじゃなかろうか。
なんてなことをつい考えてしまったのは、ご近所さんから「入試問題頻出作家のランキングに竹内真が入っていた」なんて聞かされたせいだ。その時は『自転車少年記』がずいぶん使われたみたいだからなーと思っただけだったが、今日になって知らされた追加情報には再び首を傾げてしまった。
どうもそのランキング(どこぞの有名週刊誌に載ってたそうな)ってのは、私立中学の入試問題に使われた頻度をカウントしたものらしい。そんでもって、
僕は今の今まで、自作が私立中学の入試に使われてるなんて全く知らなかったのだ。
まあ法律では教育機関の入試では予告なしに他人の著作物を問題に使っていいってことになってるし(事前に許可とったりしたら入試情報が漏洩しちゃうもんね)、僕も勝手に使うななどと言うつもりはない。しかし、公立高校の入試で僕の文章を使った全ての自治体やいくつかの私立高校はきちんと使用の連絡をくれて問題まで送付してくれたってのに、私立中学ってのは人の著作物を勝手に使って知らんぷりなのかと思うと呆れずにはいられない。
使ってもいいけど筋は通せってのが僕の考えなのだが、それは作家の我儘ってもんなのだろうか? これじゃあかつての岐阜聖徳学園のように、著作権を無視した形で使用したとこもあるんじゃねえかなって気もしてくる。教育現場の教師たちによる著作権蹂躙ってのは今に始まったことじゃないそうだけど、そういう人たちに国語教育を任せといていいもんなのだろーか?