読者の検索と竹内の偽物

 毎度おなじみミクシィネタ。
 ぼちぼち僕経由で登録する人も増えてきたのだが、僕自身がよく分かってないので、質問メールをもらっても答えられないことが結構ある。そこで試しに「レビュー」って機能を活用してみようかと、僕の本のことを書いてくれてる方を検索してみた。
 作家をしてても読者の人となりを知る機会ってあんまりない。雑誌の読者欄なんてどこまで編集者が書いてるか知れたもんじゃないし、転送されてくる読者カードとか僕に直接届くメールとかってのもある程度のバイアスがかかってる(わざわざ出してくれるのは好意的な人だおもんね)。どういう人がどういうことを思ってるのかなっていう興味をまっすぐ満たすのもなかなか大変なので、ミクシィの検索機能はなかなか便利だった。
 まあそれ自体は普通のネット検索でも可能だけど、たまたまヒットしたとこから読者の人となりを把握するのは大変だし、評論家気取りなのに論理性のない文章ばかりが出てくると結構げんなりする。別に否定的でもいいんだけど、批評ってのも人文科学である以上は誰でも理解可能な論理展開って必要なわけで、論証性を欠いた文章ってのは音楽におけるジャイアンの歌みたいなもんなのだ。きちんと書かれた批評はありがたいもんだが、批評もどきは鬱陶しいだけだし、それなら普段着の言葉から生まれる素朴な感想の方がずっと尊い気がする。
 それはともかく、ミクシィではプロフィールの登録情報という一定のフォーマットで情報を眺められるってのが便利である。こういう人がこういう感想を抱いてくれてるんだと思うとなかなか面白いもので、『自転車少年記』を好きな人がサイクリングが好きだったり『カレーライフ』を好きな人が旅行好きだったりするだけじゃなく、『風に桜の舞う道で』を好きな人がゲイ文化を好んでたりするのは結構びっくりというかなるほどというか……あの男子寮の仲間たちにそのことを話したら、どんな顔をするかなあ。


 そうやってあちこち覗いて回ると、「足あと」って機能で僕の閲覧履歴みたいなもんが残る。そこから僕を逆探知なさる方も結構いらっしゃるようで、直接メールをもらったりもした。
 「失礼ですが、本物の竹内さんですか? 」などと聞かれると、偽物が出るほど有名じゃないだろうと思うのだけれど、そういえば前に僕の偽物事件があったのを思い出した。──東京でアパート暮らしをしてた頃の話である。
 そのアパートの入り口には集合ポストがあって、住人あての郵便物は部屋ごとに分かれた郵便箱に届くことになっていた。ある日出がけにそのポストを開いてみると、僕あてに定形外郵便が届いていた。形からして中に入ってるのはビデオテープのようだったが、差出人は見覚えのない会社だったし、そんな物が届く心当たりはない。
 普通の封筒だったらそのまま持ってって電車の中ででも読んだとこだが、ビデオテープじゃ出先で確認もできない。咄嗟に『リング』の呪いのビデオのことを連想したりして、なんか気持ち悪かったのでポストにそのまま戻しておいた。確認するのは帰宅してからでいいやと思ったのだ。
 んがしかし、帰宅してみるってえと、ポストにその封筒はなかった。……などと書くと結構怪談じみてくるが、その時僕が推理したのは別のことだった。
 そのアパートには家族世帯が入ってる部屋も多く、10代の男の子も結構いたのだ。そいつらがエロビデオの通販か何かを注文していて、親にバレないように僕の名前と部屋番号を利用したのではなかろーか?
 ポストに鍵はかけてなかったので、僕以外の人でも簡単に中を見ることはできた。僕の部屋のポストを覗いてビデオが届いてたら黙ってゲットすればいいし、届くはずの日までにゲットできないようなら僕に事情を打ち明ければいいわけだ。そう考えれば不審なビデオが届いた理由も消えた理由も説明がつくし、そういうことをしそうな悪ガキ容疑者も思い当たったのである。
 こないだ、男の子あてにエロDVDを送りつけて後から高額の代金を請求するって詐欺のニュースをやってたが、僕の場合は特に何か請求されたりはしなかったから、やっぱり同じアパートの少年の犯行って可能性が高い。武士の情けと思って深く追及はしなかったが、そーゆーことならちょっとくらい届いたビデオを鑑賞しときゃあよかったよな。


 などと書いてきて、このネタはどっかでエッセイにできそうだと気がついた。その時のためにアップするのをやめようかと思ったが、まあいいや。わざわざとっておくにはあまりにアホくさい話だしね。