体力の低下と偶然の一致

takeuchimakoto2005-09-14

 昼食に外出する時、今日は風が気持ちよさそうだと思ってロードで出かける。
 日差しは強いけどスピードを出してる間は気持ちいいので、長い坂道をがーっと下って海の近くの町の回転寿司へ。ちょっと気分的に落ち込んでたのでサイクリング昼食にしたのだが、サンマの握りが美味かったおかげで一気に上機嫌になってる自分に気づく。我ながら単純だ。
 帰り道は上り坂なので、車の多い街道は避けて里山ルートを走る。しかし勾配が急なせいで結構しんどくて、途中から自転車を降りて押し歩き。涼しい木陰をのんびり歩いて林の先の池を眺めるのはいい気分だが、我ながら根性なしだ。
 つうか、体力は落ちてるのに体重は増えてるんだろうなーと実感。うちには体重計ってないのだけれど、この夏はわりと家にこもりがちでろくに運動もしなかったのだ。特に8月後半は酒量が増えてたしなー。
 てなわけで、そろそろ心を入れ替えてサイクリングに精を出そうかなーと思う。でもそう思ったそばから、帰り道での休憩にミスタードーナツなんぞに寄っちゃったんだけど。


 帰宅して一息ついてネットにつなぐと、村上モトクラシの『東京奇譚集』HPに僕の文章が掲載されたというメールがきていた。
 先月の後半だったと思うが、「奇譚」募集って企画を見かけ、ふと書きたくなってメールで投稿してたのだ。中身は『図書館の水脈』の執筆前後の話なので、宣伝ぽいのは没かなーと思ってたのだが、めでたく掲載の運びとなったようである。
 村上春樹トリビュートって企画自体、一部の春樹ファンからは結構な反感をかってたようだし、あるいは今回も何か言われるかもしれない。編集部から名前を出して掲載していいかって確認が来た際にもその懸念は伝えたのだが、それでものっけていただいたのは嬉しい限り。なにしろ僕は、宣伝とかいう以前にその頃の話を書きたくてたまらなかったのだ。
東京奇譚集 『東京奇譚集』が「新潮」誌上に連載されてると知ったのはオーストラリアを旅行している時だった。パースでそのニュースに触れ、読みたいなーと思ってたら親切な覆面レスラーのセキグチくんが「新潮」を切り抜いてエアメールで送ってくれて、シドニーで「偶然の旅人」を受け取れたのである。ちょうど日本語に飢え気味でもあったし、好きな作家の新作ってのは何より嬉しい。喜んで読んでいったところ、『図書館の水脈』のことを強烈に思い出さずにいられなくなった。
 「偶然の旅人」の中にはそのタイトルの通りにいくつもの偶然の一致が出てくるのだが、それは不思議でもなんでもなくて受け取る側の問題なんじゃないかっていう考え方が示されている。──そういう偶然の一致も、受け取る側の問題だっていう考え方も、僕は『図書館の水脈』の執筆中に味わっていた。あの頃の妙な部分で冴えわたってた感覚をそのまま言葉にしてもらったような錯覚さえ抱いたものである。
 その『東京奇譚集』が出版されるのに合わせて今回の「奇譚」募集があったので、思わずいろいろ書いて投稿してしまったというわけなのだ。宣伝すんなーと思う方もいらっしゃるかもしれないけれど、どうかご勘弁いただきたい。
 「物語の技とは、読者を逸らさずにいかに偶然の連鎖に意味を持たせるか、ということに尽きる」──芦原さんからいただいた、『図書館の水脈』の推薦文の一節である。この文章と「偶然の旅人」が響き合うことの不思議さを、誰かと共有できたらいいのだけれど。


 関係ないけど、今日の画像は大判の広告チラシを丸めた棒と戯れるくろべー。
 がしがし噛みつつ仰向けに寝転んでるので、普段の姿と全然違って面白い。足の裏の肉球や胸元の白い毛が写ってるんだけど、どこがどうなってるか分かるでしょうか?