台風と映画

takeuchimakoto2005-09-25

 台風である。連日雨である。家ごもりである。
 せっかく涼しくなってきてサイクリングや庭仕事に精を出してたってのに残念である。籠ってるなら仕事しろよって言われそうだが、世の中が3連休だ行楽だと言ってる時期に働くのは嫌なのである。(とはいえ、ここに書いてないだけでちょっとは働いてますので念のため)
 そんなわけで雨の中の映画鑑賞。昨日は『点子ちゃんとアントン』『グース』『運動靴と赤い金魚』と、立て続けに子供が主人公の作品を見る。ちょいと隠密仕事(順調であります)の参考にしようって意識もあったんだけど、作られた国がまちまちな3本立てなので、見ているうちにお国柄の違いを見比べるって感覚の方が強くなっていった。
 なにしろイランの子供の暮らしなんて全く知らなかったし、日頃アメリカ映画に慣れてると「こういうとこがいかにもアメリカだなー」と意識することって少ないので、こういう機会って貴重かもしれない。知らんうちに結構アメリカナイズされてる34歳の日本人としては『グース』(主人公はアメリカ人じゃないようだが)が一番気に入ったんだけど、面白くなったのは飛行シーンに入ってからだった。考えてみると3本それぞれに「乗り物移動の気持ちよさ」っていう映像表現が主人公の子の感情と重なりあってて、こういうのは国境や文化を越えた映画文法なんだなあと思う。


 そんな中、映画鑑賞に疲れると、夏が終わって再開した木工作業(暑い時期ってやる気がしないのだ)。木彫りくろべー、チェス駒と寝そべりあくびに続く第3弾はお座りポーズにしようと思ってんだけど、さてうまくできるだろーか。おいらが適当に切ったりくろべーがガシガシ噛んだりした椿の木を小刀一本で削っていくので、目指すポーズがこの木材のサイズにおさまる保証はないのである。
 こないだ漱石の『夢十夜』を読んでたら、第六夜だったかに木彫りのシーンがあって“作るんじゃなくて木の中に埋まっているのを掘り出す”っていう言い回しが出てきた。さすがの文豪、なるほどねーっと深く頷ける見事な表現であったが、さて素人のおいらは掘り出すことができるのだろーか。


 映画の話に戻ると、今日はコメディー2本立て。『ビッグ・ムービー』と『七年目の浮気』である。
 どっちも役者名につられて録画しといたのだが、『ビッグ・ムービー』は予想外の大収穫であった。期待度の低さと満足度の高さのギャップの大きさからいうと『ギャラクシー・クエスト』以来かもしれない。クリス・タッカーのブレイクと入れ替わるように日本では影が薄くなったエディ・マーフィーだが、やっぱり巧いなー。
 映画のストーリー自体も楽しめた。僕はもともとメタフィクションが好きだし、「偽物が本物以上に輝く」って展開はコメディー映画ではすっかり定番なんだろうか。スティーブ・マーティンといえば『サボテン・ブラザーズ』なわけだし、チャップリンの『偽牧師』や、『独裁者』だってその草分けだよな。フランク・オズワイルダーにも何かあるだろーか。
 そんなわけで『七年目の浮気』。学生の頃にも見てたはずなんだが、冒頭とラスト以外ほとんど覚えていなかった。これは作品のせいなのか僕の頭のせいなのか知らないが、まあ同じ作品を何度も楽しめるってのはいいことだよな。
 マリリン・モンローを見てるとつくづく思うのだが、人物造形が類型的だろうが展開が強引だろうが、よくできたコメディーにおいてはそのこと自体が武器になる。『ビッグ・ムービー』でもそのへんを勢いで押し切ってるとこが楽しかったし、多分モンロー&ワイルダーも全て計算ずくなんだろうなあ。そう考えるとすげえなあ。おいらも見習いたいなあ。

 なんてな感じで新旧のよくできたコメディーを満喫し、すっかりご機嫌になる頃には台風も過ぎ去って青空が見えてきた。窓から夕陽が差し込む頃になると、くろべーが早く散歩に連れてけと言っている。