別人の応対と本物の期待

視点が違うと面白いね

 風雨の日。結構寒いので午前の仕事部屋で今季初の暖房使用。
 冷房や暖房をかけて仕事中のBGM(最近はテディー・ウィルソン)を鳴らしてるってえと階下の音は聞こえないのだが、メール便が届いていたらしい。クレジットカードのポイントがたまったのでbk1で本をネット注文してたのだが、僕が気づかなかったので滞在中の友人が受け取っててくれた。三谷幸喜『有頂天時代』と、ぴあ編集部の『オルセー美術館展のすべてを楽しむ公式ガイドブック』である。三谷幸喜のありふれた生活〈5〉有頂天時代オルセー美術館展~19世紀芸術家たちの楽園~のすべてを楽しむ公式ガイドブック (ぴあMOOK)
 配達人はお向かいのおばーちゃんだったのだが、雨だからってんでポストじゃなくて玄関まで持ってきてくれたそうな。チャイムを鳴らしたら出てきたのが僕じゃなかったわけだから、ちょっと驚いたんじゃなかろーか。僕の留守中に撮影したくろべーの写真も見せてもらったが、僕以外の人が撮影したのを見ると雰囲気が違ってて面白いもんである。


 ところで、『オルセー美術館展のすべてを楽しむ公式ガイドブック』を購入したのは、同展にポール・シニャックの絵が出品されてると聞いたからである。
 ネットで出品リストを見ていたら、1886年制作の『レ・ザンドリー、河堤』ってのがあって、あれっと思ったのだ。シニャック絵画のたくさん飾られた僕の仕事部屋には、三和銀行のカレンダーから切り抜いた絵も飾ってあるんだけど、そのタイトルが『プティ・タンドリの河畔』なのである。
 この2つのタイトル、なんとなくフランス語の原題は同じなんじゃないかって気がしてならなかった。フランス語については文法一つ知らんのだが、接頭語が恣意的に取り替えられるもんなのだろーか? 制作年も同じだし、これは同じ絵なんじゃないかと睨んだ僕であった。
 僕が飾ってるものについて言えば、シニャックが新印象派の技法に目覚めた翌年に描かれたもので、大好きなシニャック作品の中でも気に入ってるものの一つである。点描の技法を取り入れながらもまだスーラの影響をそれほど受けておらず、色彩や構図にシニャックらしさが発揮されてる清新な絵なのだ。新印象派の旗揚げの年ともいえる1886年の作品だけあって、未来への期待感が溢れてるような気がするのだ。河の流れや画面中央に一人佇む男の姿に、青年シニャックは何を託してたのかなーと想像するだけでも見飽きない作品である。
 しかし僕は印刷ものを見ただけでまだ本物を見たことがない。三和銀行のカレンダーでは「個人蔵」となってたのだが、その後メトロポリタン美術館で開かれたシニャック展の図録を見ると「オルセー美術館蔵」となっていて、どうやらどっかの個人の手からオルセーに渡っていたらしい。こりゃあ今度のオルセー展も期待できるかもと一人で盛り上がり、それを確かめるためにガイドブックを取り寄せたってわけなのだ。


 で、早速開いてみたところ。
 これである。仕事部屋に飾ってあるのと同じ絵が、しっかりガイドブックにも載っていた。こりゃあ東京での開催が楽しみである。絶対いかねば。
 ちなみに、ガイドブックの印刷は発色がいまいちで新印象派の鮮やかな輝きがいまいち伝わってこない。これならうちにある絵の勝ちだなとしょーもない優越感を抱いてる僕だが、きっと本物は印刷をはるかに凌駕する輝きを秘めてるはずである。楽しみだなー。