背表紙と希望色

新潮文庫より¥590で発売中♪

 巷じゃ残暑だ真夏日だと言ってるけれど、うちのあたりはこのところ実に気持ちのいい気候が続いている。特に暑くもないし高原のそよ風は気持ちいいし、洗濯物や布団もよく乾くし。
 今日も日中は執筆に励んでたのだが、仕事部屋の窓をあけてのんびりと森の木々や稜線や野鳥を眺めてると実にいい気分である。今日はいつものシジュウカラ軍団に加えてキツツキがコンコンと枯れ枝をつついてる姿も見物できたし。
 夕方のくろべー散歩では管理事務所へ。うちに郵便きてますかーとスタッフに声をかける時はいつも『母を訪ねて三千里』を思い出す僕だが(マルコがそうやって自分ちへの手紙を心待ちにしてたシーンを妙によく覚えている)、今日はどどんとでっかい郵便が僕を待っていた。
 新潮文庫版『風に桜の舞う道で』が刷り上がり、著者の取り分が送られてきたのである。その小包を抱えて家路についた僕だったが、坂道を登って家に帰る途中で待ちきれずに封を解いて中身を取り出した。──製作過程は全く目にしてなかったので、どんな本になるかずっと気になってたのだ。
 で、一冊取り出した瞬間に思わず歓喜の声を上げていた。出会いのシーンを美しくビジュアル化したカバー装画は一目見た瞬間に気に入ったし、背表紙の色を確認して本当に嬉しかったのである。担当氏と塩田雅紀画伯に感謝しつつ、歩きながら巻末に目を通して出口汪さんの格調高い文章の解説にも感謝。『風に桜の舞う道で』ってのは僕自身の浪人体験を踏まえた思い入れ深い作品だし、こうして100%満足のいく文庫本になってとても幸せである。


 僕はもともと単行本より文庫が好きで、中でも新潮文庫を偏愛してる人間である(理由は簡単、紐がついているから)。自慢にゃならんがYonda?くんグッズもいくつか持ってるし、「新潮文庫の100冊」創刊時のリーフレットなんてのも持ってたりする。(話はそれるが今のポップなのと違って昔のリーフレット小林秀雄遠藤周作が文章を寄せてて日本文学パワー全開って感じですごいぞ。なにしろオーケン先生が若手に見える)
 で、どうせ新潮文庫に入るなら背(棚に並べた時に見える題名の書かれた側面ね)の色は自分の読書歴の中で馴染み深い色がいいなーと思っていた。ここが何色になるかは編集部で決めるとかで作者の要望を聞き入れたりはしないんだそーだが、それでもしつこくリクエストを言い続けてきた。その甲斐あってか偶然か温情か、『風に桜の舞う道で』の背の色は僕の第一希望通りになっていたのだった。
 僕もついこないだまで知らなかった新潮文庫トリビアだけど、新潮文庫の背の色ってのは最初の一冊を出した時点ではみんな白と決まっているらしい。まだ何物にも染まってないって意味なのかお前なんかまだまだ白帯じゃって意味なのか知らんけど、とにかく背表紙に色がつくのはその作家が新潮文庫における二冊目を出した時からなんだそうだ。以後、その作家はその色ってことになるし、その後に一冊目が増刷されるとそれも白じゃなくて作家固有色になる。てえことは、世の中には初版コレクターみたいに白背コレクターがいるのだろーか。
 ともあれ、二冊目でその作家の色が決まるってことで、僕はある色を強く希望してたわけです。それが何色のことなのか、そして何故その色を希望するようになったんだか、興味ある方は考えたり確かめたりしてくださると嬉しいです。