木苺朝食と木工機械

くろべーは僕が摘んだのを食べます

 朝日で目覚めた。しばらく雨が続いてたので晴れたってだけでも嬉しい上に、風もさわやかないい天気である。くろべーと散歩にでかけ、家の周りの森で熟しはじめた木苺をぱくり。
 東洋医学だったかホメオパシーだったか忘れたけど、「朝起きてその日一番に口に入れる食物や飲物はとても大事」なんて話を聞いたおぼえがある。ここ数日の僕は毎朝のように雨や朝靄に洗われたモミジイチゴの実を最初に口に入れてるので、なんかいいことあるかもしれないね。修験者や仙人ってのはこういう感覚の究極なのだろーか。


 朝のうちから洗濯に励み、今日は昼食と買い出しで出かけることに。昼が近づくにつれて日差しも風も心地よさを増して空気もからっとしてきて、「こんな日に仕事なんかしてたまるか日和」だって気がしてきたからである。まあ雨で天気悪くてもなんかかったるくて仕事さぼってたりしたんだけどさ。
 車に乗って走り出しても、窓からの風が気持ちいい。こりゃ結構な高原ドライブだなと思ったが、森の中のラーメン屋で車を降りたあたりで結構蒸し暑いことに気づく。──標高さがった上に移動が止まったせいで、ずいぶんと体感が違うのだ。
 まあここだって標高500メートルくらいだし、夏場に都会からの行楽客が車からおりて深呼吸して「ああ高原の空気は気持ちいい」なんていう避暑地なんだけど、どーもおいらの体は山の気候に順応しちゃってるんだね。
 ラーメン屋でのオーダーはつけ麺にしつつ、こりゃあ低地まで買い出しにいったらせっかくの気持ちよさを失うなと考え、近場のスーパーと道の駅で済ませることにする。こうしてどんどん浮世との接点を失っていくのかもしれないが、食後はまず木工のギャラリーショップに寄り、オーナーに桐油仕上げのことや根付のことをあれこれ教えを乞う。
 先日シイタケ栽培の師匠が電動ハンドドリルを貸してくれたので、それを使って木材に穴をあけた上で作るものを考え、根付に行き着いたんだけど、僕は和装に関する知識が皆無なのでどーゆーもんだかよく分からない。本物の根付を見た記憶を辿っても、美術館の骨董品か土産屋の安物くらいしか思い出せないんだよね。噺家さんと日常的に接していた頃に気にしておけばよかったと思いつつ、写真集とか出てないもんかな。
 もちろんギャラリーショップにも本物の根付は置いてあって、それ見ながらオーナー氏にいろいろ話を聞いてたんだけど、そのうちに話の流れで中古の木工ろくろを格安で譲ってもらえそうな雲行きになってきた。今回は電動ドリルで根付に意識が向いたけど、さて木工ろくろを手に入れたら何を作りたくなるのだろう?