『イン・ザ・ルーツ』の署名入れと『カレーライフ』の顔寄せ

この物語は映像化されてほしい!

 えーと、最近はすっかり筆不精で、ブログの更新も減ってる上に大雑把に書いて済ませる傾向があったんですが、今回は詳しく聞かせろという声を複数いただき……まあ酒飲みながらできる範囲で頑張ってみます。


 やたらと天気のいい月曜日、バスと電車を乗り継いで久々に都心に出る。中央線のお堀沿いの桜を眺めながらぶらぶらした後、飯田橋双葉社へ。
 寄贈やら販促やらのために『イン・ザ・ルーツ』のサイン本を作りにきたのだが、社屋内では月曜日ってことで営業部の会議が開かれてたらしい。一階ロビーでサインしてたおいらのもとに、営業マンの方々がずらーっとやってきてくれて驚いた。会議の流れで名刺交換に来てくださっただけなんだけど、堅気なサラリーマンって人々に取り囲まれると何故か反射的に「怒られる!」って感じてしまう自分に気付いた。
 別に卑屈になってるつもりはないが(むしろ人からは偉そうとよく言われる)、考えてみると我ながら妙な心理だよなあ。本さえ出せばベストセラーなんて作家ではないので営業さんに苦労をかけてるって自覚のためか、はたまた月曜のお昼前から真面目に働いてる人々への気後れ故か。とりあえずネクタイを前にすると緊張しちゃうのは間違いない。
 ちなみにスーツ&ネクタイな生き方とは縁遠いおいらは、30を超えた頃にネクタイの締め方を忘れたことがある。某お堅いパーティーに出るハメになり、鏡に向かってネクタイを締めようとしたんだけど、ぐるぐるっと巻いてきゅっと引っ張ったその瞬間、結び目ができるどころかすぱーんとほどけてネクタイは一直線になったのだ。自分相手に手品を披露するつもりなどなかったので、鏡に向かってしばし呆然。さすがにその後はちゃんと結んだけれど、以来なるべくネクタイは締めないことにしている。不義理覚悟で冠婚葬祭は極力避けて通るし、ファッションにはもともと興味ないし。
 それでも今日は根付の本がらみってこともあり、自作根付を応用したループタイを締めていた。ループタイってえとお年を召した方が締めるイメージがあるけれど、あれはもしや物忘れが激しくなって締め方を忘れても大丈夫って意味もあるのかなーとふと思う。
 『イン・ザ・ルーツ』には僕がこれまで書いたキャラクターの中で最も好きな老人、サニー多田良が登場するのだが、例によってその外見描写はほとんどしなかった。でもきっとループタイの似合いそうなじーちゃんだし、根付コレクターでもある人なので根付のループタイの描写くらいしときゃよかったなあとふと思う。また何かの形で彼の登場する話を書いてみようかな。

イン・ザ・ルーツ

イン・ザ・ルーツ


 サイン終了後、担当さんが会社近くのカレーの店に連れてってくれて、カレーライスな昼食。食後はまた電車で移動してカレーライフの顔寄せ。舞台『カレーライフ』の関係者が一堂に会し、役者さんたちが台本の読合せをするのである。
カレーライフ (集英社文庫) 堅気じゃないわりに時間は守るおいらは5分前についたんだけど、既に皆さん揃っててびっくり。会場は教室2つ分くらいの長方形の室内で、その中央にロの字型に長テーブルが組まれ、一辺には演出と演出助手、残り三辺には役者さんたちが座っている。そのロの字を囲む客席のように、左ウイングには舞台スタッフの席が並び、右ウイングには芸能事務所や主催・協賛企業の人々が並んでいる。壁際にはお茶やスポーツドリンクやお菓子が用意されてて、よく見りゃハウスとんがりコーンにニンニクの力、そしてバーモントカレーも積んである。さすがハウス食品協賛と思ったが、さすがにこの場でバーモントカレーをルウごと齧るわけにゃあいかんだろうなあ。
 原作者の居場所も決められてて、植原卓也さんと長谷部優さんが並んだテーブルの斜め後ろが僕の席だった。そこに座って前を向くと、是近敦之さんと大口兼悟さんと向き合う格好である。彼らの後ろには芸能事務所関係の方がずらっと並んでるんだけど、見るからに男っぽい男優二人が真剣な顔してる背後には、たまたま強面のスタッフさんが二人位置してて、その光景がなんともおっかないやら面白いやら。いやどこのどなたかも知らないので怖がるのも失礼なんだけど、暗い夜道で鉢合わせしたら何はともあれ謝ってしまいそうな迫力なのだ。どーせならきれーな女優さんや美人なスタッフさんの正面だったらよかったのになーと思ってるうちに顔寄せ開始、簡単な挨拶やらそれぞれの紹介やら、あっという間におわって暫時休憩。
 休憩中の間は立ち話やら名刺交換やら。長谷部さんが英語の台詞について是近さんの指導を受けてたり、中村蒼さんと倉科カナさんが互いに敬語で喋ってたりって光景が目にとまる。僕の中ではそれぞれの写真や動画が役柄としてインプットされてるので、なんだか不思議な気分になる。……ていうか大丈夫なのか俺がブロークンな英語力で書いた英語台詞。
 僕はプロデューサー氏からネクタイ系の方々を紹介されてたんだけど、ハウス食品の方と喋ってる時に思わず「ウコンの力が置いてあるのかと思ったらニンニクの力ですね」と言ってしまった。作中でウコンが鍵になるからなんだけど、すかさず「ウコンの力は打ち上げの時にお持ちします」との返答をいただいて、当意即妙の切り返しに感嘆。さすがはプロである。(体力勝負の稽古にはニンニクパワーが、アルコールが入る打ち上げにはウコンパワーが効果的ってことですな)


 さすがはプロといえば、休憩後に始まった台本の読合せもとても面白かった。原作の執筆から脚本化の段階では僕の想像の中とか文字の上にしかなかった言葉が、プロの役者によって声になって立体化するのである。そういう台詞回しになるのかーとか、そういう感情を込めるのかーとか、僕にとってはストーリーの展開とは別に脚本の1行1行が面白い。
 んがしかし、そういう感興ってのは僕だけのもんかもしれない。室内には緊張気味の真面目な雰囲気が漂ってて、聴衆は多いってのに、ここは笑いの涌く台詞だろうってとこでも特に笑い声は上がらない。僕にとっては役者さんの演技を見るのと同時に自分の書いた物語や台詞を披露する場でもあるわけで、なんだか妙に笑い声を欲している自分にふと気づく。誰か舞台人の言葉で「後ろに回り込んでくすぐってやろうか」ってのがあったが、まさにそんな気分で台本のページをめくる原作者。心の中で関係者席に笑え笑え念波を送ってみたが……特に効果は上がらなかったようで、そのうち居眠りを始める人もいたりなんかして。
 うつらうつらしてる人たちが、大口さんや是近さんが声を張った瞬間にハッと目覚めるのがなんだか嬉しい。従兄弟たちの掛け合いのところで、その場面にはいないヒカリ役の倉科さんがにこっと微笑んでたりするのには救われる気分である。基本的に脚本を見ながら読合せていく形だけど、倉科さんや井上正大さんは視線や表情の芝居を交えながら進めていくし、崎本大海さんは既に結構覚えてるのかして脚本を見ないで進めていくところも多い。中村蒼さんは真面目に脚本を見据える感じで呼んでたけど、場が進むにつれて周りの役者たちのように表情と視線の芝居が増えていく。――そういう光景ってのはなんだかジャズのセッションみたいで、見ていてとてもスリリングであった。
 場面によって出る役出ない役があるので、空き時間の多い役者さんには申し訳ないような気分になるが、眠気と戦ってたり他の役者の芝居に合わせて表情を動かしてたりするのも面白いもんである。アメリカ編前後でお休みのあるヒカリが従弟たちに優しい視線を注いでたり、インド編でようやく登場のサトルがワタルとテンポいい掛け合いを繰り広げたり、中抜け期間の長いシミズが若い頃を演じる時にはめちゃめちゃエネルギッシュだったり(うとうと組が数人、ぱっと背すじを伸ばしてた)。こういうのは公演本番では見られないことだけに、ある意味とても贅沢なことだなと思う。――いや、それを言ったら自分の書いた物語をこうしてたくさんの役者さんに演じてもらえるってことが贅沢なんだよな。


 そんな贅沢を満喫したせいか、稽古場を離れて駅の雑踏に戻ったときには妙に寂しい気分になった。それは虚構から現実に戻った夢の終わり感覚であり、ここから先は手出しできない疎外感でもあるのかも。帰属する母体のないプロデュース公演っていう寂寞感もあるのかなと思うが、それはこれから稽古と公演を重ねてく人たちの中では消えていくのかな。おいらも機会をまた見つけて稽古や本番を見ときたいと強く思う。
 とはいえ、そろそろ今の仮住まいを引き払って東京を離れるんだよなー。ちょうどこの冬に再読してた『ガープの世界』をそろそろ読み終わるんだけど、それもまた寂しさの感覚に繋がってんのかもね。今夜は終章を読み終えてロビン・ウイリアムズ主演の映画版のDVDでも鑑賞しようかなっと。ガープの世界 [DVD]