再文庫叙事詩と私家版写真集

ヤマツツジが満開の季節です

 管理事務所の郵便受けに、本が2冊届いていた。
 一冊は『山越くんの貧乏叙事詩』。かつて『雨鶏』という書名で単行本と文庫本が出てた連作短編集の再文庫化なんだけど、去年12月にポプラ文庫から刊行されるにあたって、あらたに一編が書き下ろされてたらしい。そうと知っては読まないわけにはいかないと、通販で注文しといたのである。

 なにしろ、僕はこの連作が本当に大好きで、文庫版『雨鶏』の解説を書かせてもらったほどなのだ。というか、角川書店から単行本が出た後、文庫化されてなかったこの作品を文庫本で読みたくて、自分に依頼が来た際に「『雨鶏』も文庫化してください、そして僕に文庫解説を書かせてください!」と頼んだのである。そして書いた解説は、これまで書いた非小説の文章の中で最も力を込めて書いたといっていい。
雨鶏

雨鶏

雨鶏 (ヴィレッジブックスedge)

雨鶏 (ヴィレッジブックスedge)

 再文庫化に際してその解説が収録させてないのはちと残念だけど、初出から20年たって新作が書き下ろされたってのはそれ以上の喜びである。ほくほくしながら封を切り、マッサージ椅子に横たわって腹にくろべーをのっけながら読み始めた。ああ幸せ。
 そして、書き下ろしの『あとがきにかえて〜ダルタニャンたち』は内容的にも手法的にもとても興味深かった。連作『雨鶏』は1960年代末を生きる山越くんのリアルタイムな視点で書かれてたんだけど、『ダルタニャンたち』には時々、現代の作者の視点が顔を出す。そういう意味では『青春デンデケデケデケ』の構造に近いし、内容も山越しくんが四国の郷里を出て上京するところから始まるという、『デンデケ』のラストシーンに直結するストーリーなのだ。いってみれば、『雨鶏』のエピソード0が『デンデケ』と『雨鶏』をつないでるわけで、いろんな意味でぐるっと回って繋がる感覚が心地いい。ぐるっと回るといえば『ドッペル』だなあと、いろいろ連想も広がるね。
青春デンデケデケデケ (河出文庫―BUNGEI Collection)

青春デンデケデケデケ (河出文庫―BUNGEI Collection)

ドッペル (ものがたりうむ河出物語館)

ドッペル (ものがたりうむ河出物語館)

 それから個人的にとても嬉しかったのは、芦原文学の魅力の一つである、作中における考察の中で、とても情景的で抒情的で素敵なシーンにからめて「世界」ってことがらについて考えられてたこと。――僕が書いた解説の中では、芦原文学を「世界への賛歌」として捉えたのだけれど、まるでそのアプローチで正しかったんだと丸をつけてもらえたような、そんな嬉しい感覚を味わえた。
 ついでに、僕がもう一つ、芦原作品の文庫解説を書かせてもらった『わが身世にふる、じじわかし』の中では、母性って視点から芦原作品について考察したのだけれど、『ダルタニャンたち』では山越くんのお母さんが出てきていい味だしている。単行本・旧文庫の連作の中ではお母さんは間接的にしか登場してなかったので、この変化はやはり『野に咲け、あざみ』を経てるせいかなーと思うととても興味深い。――この名作もそのうちポプラ文庫に入ればいいのにな。
わが身世にふる、じじわかし (創元推理文庫)

わが身世にふる、じじわかし (創元推理文庫)

野に咲け、あざみ

野に咲け、あざみ

 ポプラ文庫といえば、かつて創刊の準備期間には僕んとこにもオファーがきた。単行本版の『自転車少年記』を文庫化したいってことだったんだけど、その時点での僕の最優先事項は「続編を書く」ってことだったので(当時は『自転車冒険記』もまだ書いてなかった)、その気持ちを正直に伝えて「続編も出してもらえるなら」と答えておいた。そしたら、「社に戻って検討します」ってことになり、そのまま話はうやむやになっちゃったんだけど――あの当時、「『雨鶏』もポプラ文庫から出ます」と言われてたら諸手をあげてオーケーしてただろーなー……あれから数年、時は流れたなー。


 それはさておき、今日ポストに入ってたもう1冊の本の話。
 大きめの封筒に入っていた黒い本、はて何じゃろなと引っ張り出してハードカバーの表紙を開いてみたら、これがアルバムだった。1ページ目には雪景色と空の写真、そして「冬」と記された切り抜きらしき活字。――差出人を見てもまるで覚えはなく、まるで短編小説の出だしみたいだなーと思ってしまった。
 そして同封されてた小さな封筒を開き、中のお手紙を読んでみたら、そこにもなんだか短編小説になりそうな話が記されていた。おまけにそれも、10年ほど前から始まる話だったんだよね。
 10年前、僕のホームページ(って言い回しが普通だったのだ当時は)のおたよりコーナーからメールをくれた女の子がいた。将来は写真家になりたいっていう学生さんで、今度北海道の牧場に行くって話を書き綴ってくれてて、僕が北海道在住の漫画家、はた万次郎画伯の家に旅行した時のことなどを質問してくれてたので、それに答えたような覚えがある。
 その後、彼女も北海道に行き、その時のことをまたメールで書いてきてくれたんだけど――たしか、「ある駅で宿もなく電車もなくなったりした」とだけ書いてあって、その後どうなったのかは書いてなかった。どうなったんだろうなーって気になったものの、続報はなく、何年もの時がすぎた。
 そして現在にいたってたんだけど……何年もたって今日届いたアルバムとお手紙こそ、その「続報」だったのだ。「冬」というページの後には北海道の空や牧場の写真が続いていて、牛を撮った写真や、雪と雲が並んだ写真がとても印象的だった。
 なにしろ、10年前の女子学生はその後、プロの写真家になっていたというのだ。つまり僕が受け取ったアルバムは、そんな彼女の修業時代を語る手作り写真集ともいえるわけで、なんとも貴重なものをいただいちゃったなーとしみじみ。
 彼女のお名前とかお手紙とか、ここに書き記したい気もするけど、今はまだ我慢しとこう。――そして僕にとっては、この写真集と『山越くんの貧乏叙事詩』を同じ日に受け取ったっていうのもなんだか不思議な偶然というか、時の流れや物語の魅力を感じさせてくれる出来事であった。