分電盤の故障と短編小説の構想

漏電遮断機を外したところ

 8月3日の朝、メールチェックしたら原稿依頼がきていた。
 某誌の特集記事の中の短編小説ってことで、テーマと枚数がきっちり決められてる企画である。まだ構想はまとまらんけど、こういうお題頂戴型の仕事って僕は結構好きである。ヘタに小説誌の新人賞なんかとっちゃうと「何でもいいから一定枚数のものを書かせて何でもいいから担当編集者の思いつき通りに直させる」なんて状態に陥るもんなのだが、そういうのより一般誌の方が健全で気持ちいい。
 で、締め切りが近いこともあって翻訳家は休業(しかしよく休むね)、3日は終日アイデアを練ったりネットで資料調査を行ったり。


 ところが4日になって事件発生。停電である。
 停電って言い方は正しくないのかな。夜中のうちに我が家の古い分電盤がぶっ壊れたらしく、漏電遮断機が上がりっぱなしになって電気が全く使えなくなってたのである。
 早朝に起きたものの照明はつかんし電話もかけられんし(回線は繋がってるが電話機が死んでるのでプッシュホンが反応しない)冷蔵庫の中身はいつまで持つか知れたもんじゃないし。こりゃあヤバいと周辺の住宅地図を引っ張り出し、自転車にまたがって電気工事の広告を出してた家を目指す。
 こういう時には電話で頼むべきかもしれないが、うちから公衆電話のあるとこまで行くくらいなら直接行っても手間は一緒。俺はいつの時代の人なんだと思いつつそのお宅のチャイムを鳴らしたが、でてきたご婦人いわく工事を行うご主人はちょうどさっき出かけちゃったとのこと。
 仕方ないので駅前をさまよい、記憶をたよりに電器屋にたどり着く。シャッターが下りた店内は無人のようだったので公衆電話から連絡してアポをとり、始業時間がすぎてから家まで係の人に見に来てもらう。


 そういえば『1973年のピンボール』にこんなシーンがあった気がする。電気屋さんはカバーを外して分電器をチェックしたいたが、「漏電ブレーカーの型が古いんで、とりあえず大至急取り寄せてみます」と言い残して帰っていってしまった。
 で、現在にいたる。きれいな夏晴れの今日、気温はぐんぐん上がってるけど我が家ではエアコンどころか扇風機も使えない。涼しいとこに避難しようにも電気屋さんからの連絡待ちなので出かけられない。困ったもんだ。
 つまり僕は、いつになったら回復するかも分からない状態で文明の利器から切り離された生活を送らにゃならんのだ。まあ早寝早起きだから夜は寝ればいいけど、電気がないと給湯器も動かんから今日は水シャワーかもしれないなあ。パソコンは内臓バッテリーで動いてるけどいつまで持つか知れたもんではない。
 だから仕事もセーブせにゃならんし、メールでの連絡もいつまでとれるか分からない。電話はかかってくる分にはとれるはずだが、プッシュホンが使えないのでこっちからかけられない。いやあ孤立した原始生活だなあ。
 てなわけで、依頼を受けた短編小説ではテーマとは無関係に停電について書いてやろうかと思ってます。何というか、このままやられっぱなしでたまるかって気分なのだ。