麺麭厨房四方山話と平櫛田中彫琢大成

焼立て試作パンも味見させてもらった

 なんだか引きとめられることの多い一日だった。
 食材が尽きてきたので午前中から買い出し下山。よく行くパン屋に寄って会計を済ませたら、「お茶でも飲んでく?」と奥に招かれた。パン屋さんの厨房(っていうのかな)に入るのなんて幼稚園の時のパン作り体験以来じゃなかろーか。
 お茶やらチャイやらをいただきつつ、経営の大変さや店主さんの身の上話に耳を傾ける。一杯のんで「じゃあそろそろ」と言おうとすると次の一杯を注がれるっていうワンコソバ状態で引きとめられ、結局1時間以上も居すわったんじゃなかろうか。その間あんまりお客がこなかったことを思うと、確かに経営は大変そうだ。
 他にもパン屋にまつわる噂話などもいろいろ。何故かパン屋の多い土地なので、他のお店にまつわる愛憎劇や奇しき偶然なんかを聞いてると飽きない。――僕は自分の身の上話はあんまりしない方だけど、人の身の上話は結構聞く機会が多い。そーゆーのも作家としての滋養になるのかなって気もするが、問題はあんまりそーゆーものは書かないってことだよな。


 パン屋の後はいつものように図書館へ。予約しといた資料が届いてるってことだったが、何やら職員さんたちが小声で相談しあってる。何だると思っていると、『平櫛田中彫琢大成』って本が出てきた。
 この本が、びっくりするほどでかかった。ネットで検索してタイトルだけ見て予約しといたんだけど、ぱっと見るとそこらの学生鞄よりも大きい本なのだ。測ってみたら、ざっと縦41×横30×厚さ6センチ。持って(というか抱えて)みた感覚では、お米の5キロ入りの袋くらい重たい。『古畑任三郎』の犯人だったら、これを凶器に人を撲殺できるんじゃねえかってくらい重い。
 おまけにこの本、大型本で豪華本ってだけあって、禁帯出シールが貼ってあった。最初は貸出できない本だったようだが、市町村合併だか図書館運営の民間委託だかのおかげで借りられるようになってるらしい。
 おかげさまで貸出手続き。職員さんと「でっかい本ですねー」などと喋ってると、後からきた利用者の方に引きとめられた。何かと思ったら「その本、私も次に借りたい」という御婦人である。聞けば「もうすぐ平櫛田中美術館に行こうと思ってるのよ」とのことで、たまたま大きな本の金箔文字が目に入って立ち止まったらしい。(それほど存在感ある本なのだ)
 彼女が予約申込書に書名などを書き込んでる間、職員さんも交えて「美術館ってえと、小平の?」とか「この前の『日曜美術館』で紹介されてましたね」なんて話がはずむ。たまたま居合わせた見知らぬ3人が、平櫛田中の話題でぱっと盛り上がれるってのも、考えてみるとすごいことだよなあ。


 帰宅して、『平櫛田中彫琢大成』をひもとく。なにしろ重くて大きいのでページを開くだけでも大変だが、その甲斐あって素晴らしい本だった。木彫り趣味から選んだ本だけど、僕など及びもつかない神レベルの作品が美しい写真でずらりと並んでるし、冒頭の文章も実に味わい深い。じっくりページをめくってるだけで元気をもらえて創作意欲がわいてくる本である。
 昭和四十六年発行だから僕と同い年ってのも驚きだし、値段はその当時の価格で五万八千円。生前の平櫛田中翁はなかなか自分の作品集の刊行を許可しなかったというが、今ならこの本、どんだけプレミアがついてんだろう?
 こういう本を出してた講談社ってすげーなーと思いつつ、そーいえば僕も講談社から『じーさん武勇伝』って本を出したんだった。百歳を超えてなお旺盛な創作意欲を見せていた田中翁を思えば、神楽坂のじーさんの続編もまだ書けるかもしれないなー。


 あ、平櫛田中について知らないぞって方には、このリンクがおすすめです。素朴な絵の紙芝居なんだけど、そのあっさりとした文章を突き抜けて迫ってくる生き様がすごい。この紙芝居を見た子供って、いったいどんな感想を抱くんだろうなあ……
http://www.city.ibara.okayama.jp/denchu_museum/about_denchu/denchu_story_index.html