3本の一五一会と2冊目のキリギリス

旧型奏生3色コンプリート

 しまった。せめて月に1回くらいはブログを書こうと思ってるってのに、気づいたら2月が終わっていた。
 これも他より短い月だからだな……と暦のせいにしてみたが、今年はうるう年で29日あるんだよな。他より短いったって1日か2日のことか。単に迂闊な性格してるからって認めた方がよさそうだ。
 2月の出来事で特筆すべきことと言えば――妙な展開で、一五一会の奏生が我が家に3本揃ったってことだろうか。しかも2009年のモデルチェンジ前の卵型のデザイン(僕はそっちの方が好きなのだ)で、市販されてる3色揃い踏みである。並べてみるとなかなか壮観で、なんか嬉しくなってくる。意味もなく弾き比べたりなんかしてね。
 なんで3本もゲットすることになったかといえば、もともと持ってた1本に加えて手頃なのを2本見つけたから……って以上に、僕の周りの一五一会に興味を持ってる友人に広めたいからである。やっぱり一人で弾き語ってるよりはみんなでわいわいやる方が楽しいのだ。
 僕の1本と、もう1本は譲り先が決まってるんだけど、残る1本は早いものがち応相談。当面は我が家に3本ある状態なので、遊びにきた人と一緒に弾いて楽しみたいなと思ってます。


図書室のキリギリス (双葉文庫)

図書室のキリギリス (双葉文庫)

 あと書いとくべきこととしては、おかげさまで去年の秋に文庫が出て結構売れた『図書室のキリギリス』の続編を書くことが決まりました。1冊目で学校司書になった高良詩織が、2年目も仕事を続けられるのか……ってな話を書こうと思ってます。 ぼちぼち準備を始めてるとこなんで、「こういう話を書いてほしい」とか「こういう本を取り上げてほしい」とか「学校司書のこういう面に言及してほしい」とかのご意見があったらお寄せください。僕の素朴な質問や取材に応じてくださる親切な学校司書の方も募集しております。――実はあてにしてた先が一つだめになっちゃったようで結構こまってるのです。
 ぶっちゃけた話、図書館関係の人って、「資料を紹介するのが図書館員の仕事で必要以上に立ち入るべきじゃない」っていう職業倫理のせいか、あまり突っ込んだ話を聞かせてくれない気がしてます。これは図書館がらみのルポやエッセイを書いてた頃から何度も経験してるんだけど……僕の文章に対して「ちょっと違うんだよね」とか「実際の様子を書いてほしい」とか「世の中に誤解を広めないでほしい」とかのご意見は時々見かけるわりに、「どう違うのか」とか「実際はこうなのだ」とかいった声は届かないのです。こちらも間違いがあったら直すし特筆すべき情報があるなら取り入れたいと思ってんだけど、ネットなんかで直接そうお伝えしても、相手は必ずといっていいほど沈黙してしまう。別に議論をしかけたいわけじゃなく、ご意見聞きたいだけなんだけどなあ。
 もちろん、明らかに僕の文章は読んでない人が「○○を読め」なんて言うだけだったりする例もあるし(実は読んでたりして)、学校図書館事情はほんとに様々だから、言われた通りになるかは分からないけど、それでもご意見あるなら詳しく聞きたいってことは多い。専門家から教わったりお話を聞いたりというのは嫌いじゃないし、小説執筆についての何よりの滋養になると思ってますので、教えてやってもいいぞって方はご一報ください。セカンドシーズンで書く話はいくつか決めてあるけど、その後くらいに反映されたりすることもあるかと思います。

通信途絶と積雪読書

最後に撮影した一枚、「自撮り犬」

 スマホイカれてしまいました。
 これまでも何度か調子悪くなってたけど、今度は本格的にダメなのか、スタート画面が何度も繰り返されるばかりで起動できない。まるっきり使い物にならないので電源を切ってあります。
 当然、電話は不通状態。当面、御用の方はメールなりSNSのメッセージなりお願いします! ネットも常時接続ってわけじゃないけど、起きてる時間はわりとマメにチェックすると思うので。
 なにしろ、木曜夜から雪が降り始め、金曜は終日ざんざか降っていて、土曜現在積雪20センチって状況。とてもじゃないがドコモショップに行く気にもなれないのです。この際だから、週末は電話の通じない状態で過ごそうかと思っております。


 つうわけで、急な連絡とれないのは困るかもしれんけど、大雪の中、ストーブの前で静かに料理などしつつ読書にふけるのも悪くない。前回のブログで『BILLY BAT』のことを書いたけど、『モーニング』で最終章の連載が始まり、どうなるんだーとわくわくしてるうちに『火の鳥』を再読したくなり、図書館で全巻を借りてきてしまったのだ。やっぱり共通点というか、通じるところが結構あって読み比べると楽しい。『BILLY BAT』も「壮大な歴史絵巻」みたいにたとえられるけど、やっぱり『火の鳥』はそれをはるかに凌ぐスケール感だなあ。

火の鳥【全12巻セット】

火の鳥【全12巻セット】

 そして仕事がらみで、3月刊行予定の『ホラベンチャー!』の参考文献リストを作った勢いで小澤俊夫柳田国男と読み始めたら、なんだかやめられなくなってしまった。おまけに、昔話についての文献のはずなのに、そういう本からも『BILLY BAT』や『火の鳥』につながるものが受け取れる。『昔話の語法』と『BILLY BAT』は、『ホラベンチャー!』の執筆中に刺激や励ましを受けた二巨頭といってもいいので、ここにきて繋がりが見つかるのがなんだか嬉しい。
昔話の語法 (福音館の単行本)

昔話の語法 (福音館の単行本)

日本の昔話 (新潮文庫)

日本の昔話 (新潮文庫)

日本の伝説 (新潮文庫)

日本の伝説 (新潮文庫)

 たとえば、小澤俊夫さんの『こんにちは、昔話です』は初心者向け入門書で、講演録の喋り言葉を交えて分かりやすく書かれてるんだけど、ディズニーについては割と辛辣に言及されている(ついでに桐生操については超ボロクソで痛快)。そのあたり、「昔話本来の語法」と「ディズニーの手法」の関係って、そのまま「Wケヴィンのビリー」と「ティミーのビリー」にあてはまりそうな気がする。 他にも「絵に描くこと」の大切さについて言及されてるのは『BILLY BAT』に出てくる漫画家たちを連想させるし、「私たちは伝承の途中にいる。終点にいつのではない」とまとめられてるのを読むと砂の上に描かれた漫画を連想せずにはいられない。もしや浦沢直樹さんはこの本を読んでたのかなーって気がしてくるほどだが……いや多分、ある種の大切なことについて言及しようとすると、話はどこかで繋がってくるってことなんだろうな。
 そして偉大な先達の作品に触れつつ、自分も同じ方向を目指してるんだと実感できるのが嬉しい。こないだ創元推理文庫から刊行された『ディスリスペクトの迎撃』は局地戦、3月に双葉社から刊行予定の『ホラベンチャー!』は総力戦って意識なんだけど、やっぱり僕の目指すところは物語賛歌なのかなって気がしてるのだ。 柳田国男から小澤俊夫に至る伝承文学研究の流れで、「昔話」と「伝説」の定義づけがあるのだが、僕はその中間くらいに「ホラ話」ってのを位置付けている。かつて書いた『じーさん武勇伝』や『オアシス』ではそういうところを目指してて、だから他の小説とは異なる文体になってるのかなと思うんだけど……それは僕にとって、自分の中の物語欲求を自然に形にしたものでもある。初めてそれを意図的に追いかけてみた『ホラベンチャー!』が、新たな一歩を踏み出すことにつながればいいのだけれど。

『ホラベンチャー!』と『BILLY BAT』と『STAR WARS』

好きなラジオ番組グッズも当たった

 午前中、新作長編『ホラベンチャー!』の追加シーンを書き上げてほっと一息。まだ細かな字句訂正や短縮はありそうだけど、とりあえず手直し終了で全体像がまとまった。
 昼飯がてら出掛けて、『BILLY BAT』最新18巻を発売日に購入。信号待ちの運転席やホテルのプールのデッキチェアで読みふける。――この漫画、何度も読み返してるうちに浦沢作品で一番好きになってるのだ。漫画が重要なモチーフだけど、人類と物語とのかかわりを描いた作品ともいえるので、『ホラベンチャー!』を書く間もずいぶんと励まされたし。

BILLY BAT(18) (モーニング KC)

BILLY BAT(18) (モーニング KC)

 内容はもちろん面白かったし、手塚の『火の鳥』ではついに実現しなかった現代編が盛り上がってクライマックスに入ってく様が圧巻。単なるアメリカ批判・ディズニー批判だけじゃなく、イスラム国とおぼしき存在も描いた上で、現代社会の抱える病理に漫画で立ち向かおうとしてる姿が素晴らしくカッコいい。
 しかし、帯に書いてあった「最終章開幕」ってのはどう受け取ったらいいのかなあ。作者公式サイトでも1月から連載再開で「最終章」って言い方をしてたので、どうやら次の19巻で完結かと思ったんだけど、18巻だって最終章ならば、「20巻も21巻も最終章で、いつ終わるかはわかんないもんねー」ってことなのだろーか……
 まあそれでも、18巻を読みながら、19巻で完結するとしたらどういう終わり方なのかなーと想像するのは面白い。――「世界各地のビリーランドを起点にテロ続発で第三次世界大戦が勃発しそうになる中、Wケヴィン共作のビリーバット新作が紙媒体で拡散され、陰謀を暴いて希望を説く。世界の読者たちが描いた落書きのビリーが実体化し、真田一族に伝わる写本の呪術(真似して描くと時々実現するの術)を打ち破り、ティミーの偽ビリーを駆逐。主のいなくなったビリーランドには本物ビリーとWケヴィンを先頭に民衆が入城、物語を通して世界の読者と連帯し、本当の意味で平和の拠点にしちゃう」なんてのはどーかな? いや、はずれてるだろーけど。


アート・オブ・スター・ウォーズ/フォースの覚醒

アート・オブ・スター・ウォーズ/フォースの覚醒

 ところで、いつ終わるか分からない『BILLY BAT』の中でもいろいろネタにされてるディズニーだけど、そのディズニーがルーカスフィルムを買収したおかげで『STAR WARS』の続編ができることになった。そりゃ『ライオンキング』の『ジャングル大帝』引用ぶりは手塚ファンは気に入らないんだろうけど、『STAR WARS』ファンの大半はディズニー様々だろう。それこそビリーバットじゃないけど、白と黒と光と影、善悪両面あるわけだよな。
 で、僕は『STAR WARS』の新作を、封切り初日に3Dバージョンで鑑賞してきた。――もともと眼鏡をかけてる人はその眼鏡の上に偏光レンズのついた3D眼鏡をかける形になる。僕の眼鏡だと、形状的にBB−8デザインのものしか合わなかったんだけど、上映が始まって焦った。映像が立体にならずに二重になってぼやけてる感じで、何かレンズの相性のせいかと、片方外したり2つのレンズの距離を変えたり、客席でじたばたしてたんだけど……結局、上映がストップして明かりがつき、スタッフが出てきて映写ミスで映像が3Dになってないと謝った。そんで最初から上映し直したので、僕は冒頭部分を2回見たことになる。滅多にできない体験だったけど……上映終了後に責任者が謝るくらいのことはしたっていいんじゃないかなあ。
 もっとも、映画そのものはたっぷり楽しんで満足だった。3Dで見たおかげで、画面が絵画的というより彫刻的に、空間構成を考えて作られてるのが分かったし、広い空間や奥行きのもたらす表現効果が素晴らしかったのだ。 広い空間にぽつんといる登場人物たちの立体映像がいろんな状況を物語ってるのを感じられた。スターデストロイヤーの残骸の中、一人でロープ降下するレイの登場シーンなんて、彼女の孤独と強さを象徴しつつ時代背景と世界観を示してるようで、すごく好きになった。
 もともとEP2に出てきた、星図がふわっと立体映像で広がるシーンが大好きなんだけど、今回はそれを3Dで見られたようで嬉しかった。また、そのシーンのハン・ソロの表情がカッコいいんだよな。最後の最後でドロイドたちが得意気に(ちゃんとそう見える)ピースを埋めて星図を完成させるとこもいいし、全体に映像だけじゃなく芝居もよかったなと思う。みんな受けの芝居や臆する芝居がきっちりしてるから、決意した時の重みが伝わってくるんだよね。個人的にチューバッカのエヘヘ顔がツボだったし、BB8のサムアップやトルーパーのやれやれ放っとこう芝居も笑えたし。
 何より、脈々と続く物語で、登場人物たちが時の流れや世代交代を経てかわっていく様ってのはいいなーと思う。それは『STAR WARS』にかぎった話じゃなく『BILLY BAT』にも、僭越ながら『ホラベンチャー!』にもあてはまることで、そういう物語たちにどっぷりひたれた数日間はとても充実してたなーと思う。

『ディスリスペクトの迎撃』とポラロイドキューブの装着

CUBEはドライブ中の笑顔も記録

 11月も終わりかー。どっかで、舞台『カレーライフ』の関西公演レポートを書くと言った覚えがあるけれど、ちょっとタイミングを逸しちゃったな。スタッフ・キャストにいろいろ話を聞いて面白いことや考えさせられることも多かったし、脚本改訂の影響とさらに直したいとこについても書きたかったんだけど、まあそのあたりはメールとかSNSとかの会話の流れで小出しにしていきます。
 とはいえ、迂闊に書いてると面倒くさい事態を招くってこともあるらしい。先日ツイッターにそうやって書き込んでたら、それを覗いた劇場型オツボネーゼたちが憤慨し、僕をdisるって出来事があった。陰口叩いて盛り上がってるだけなら放っておくのだが、わざわざ僕の告知欄に表示される形で罵り言葉を並べてるおっちょこちょいがいたのだ。で、どういうこっちゃいと調べてみたら何やら勝手な思い込みを膨らませて怒ってるっていう興味深い心理が見えてきて……なーんて話をすると長くなる。いろいろ考察できそうだし小説のネタにもできそうなんだけど、またの機会に。
 その出来事が興味深かったのは、年明けに出る新刊のタイトルが『ディスリスペクトの迎撃』に決まって告知されるのと、ちょうどタイミングが重なったから。夏に収録作を書き上げた時には『ミステリードラマの決戦』とつけたけど、そのタイトルが反対され、そんならと新たなものをつけたのである。これはこれで一般的なタイトルらしくはなかろーけども、作中では「ネットにふきだまる悪意」とか「引き倒し系のファン」とかに言及してて、主人公の小説家がそれと対決したりする。それが現実の僕の状況ともちょこっと重なって面白かった。
 ここ数年、ネットで見かけるようになった「disる」って言葉だけど、語源ははどうやら「ディスリペクト」って英単語らしい。敬意を表すリスペクトの対義語たるディスペクトが軽蔑を表し、それを日本語化する中でもっと広義に悪意全般をさすようにもなり……なんて感じの言葉らしい。このまま定着するかどうかは微妙なとこだけど、『ディスリスペクトの迎撃』は創元推理文庫から1月21日発売らしいです。『シチュエーションパズルの攻防』の続編ですので、ネットの悪意と戦う頭脳ゲームに興味おありの方はぜひどうぞ。


 もちろん「ネット=悪意」と考えるのも早計ってもんで、ネットからの恩恵もあるし、善意に触れることも多い。ここ数日の僕は、友人がらみで偶然知ったポラロイド・CUBEという小型ビデオカメラを購入し、別の友人の協力のもとに我が家の老犬に装着し、くろべーカメラマンによる映像を楽しんでいる。この一連の流れも、ネットがなかったら実現してないもんなあ。
 そもそも、この商品を知ったことだけじゃなく、購入する気になったのもネットのおかげ。ユーチューブとかで検索すると、このCUBEで撮った映像がたくさん出てくるんだけど、これがすごく楽しいのだ。その犬をとりまく環境や人との関係が見えてくるようで、眺めていると自然と微笑んでいる。ただ犬の目線で撮ったっていうだけの、なんてことない日常の風景だったりするんだけどね。
 だけど、なんてことない日常でも、永遠に続くとはかぎらない。今年の春の体調悪化以来、くろべーとの散歩を楽しめる日々ってのも永遠じゃない、限られてるんだって思いが強まってるので、くろべーの視線で見た世界を記録しておけるのが嬉しい。自分で保存してるだけだと火事でもありゃあ消えちゃうわけだけど、ネットにアップしておけば半永久的に残りそうな気もするし。
 そんなわけで、我が家に犬連れで遊びにくる皆さま、ぜひ犬カメラ動画を試して遊んでみてください。楽しいよ。

小説『ホラベンチャー』の校正と舞台『カレーライフ』の構成

ロビーで撮ったピンボケ写真

 舞台『カレーライフ』2015、二度目の観劇のため、午後から上京。
 新幹線の中で連載中の長編小説『ホラベンチャー!』ラス前回の著者校ゲラを再チェック、担当者と会ってゲラ戻し……って用事もあるんだけど、もういっぺん今回の舞台を観ておきたかったのだ。六本木待ち合わせにしたのはホップフィクションをもう1杯って意識もあったりしたのだけれど。
 初日の観劇後、プロデューサーから電話もらって感想を聞かれ、「初演はテーマ性、再演はエンタメ性ですね」なんて答えてたんだけど、言いながらそれだけじゃないって気もしていた。お客さんたちの感想を見回しても、皆さんエンタメ要素に喜んでくれてる一方でテーマ要素にしっかり感応してくれてる人も多くて、そのあたりを確かめてみたかったのである。
 なので、ネタバレを気にする人はこの先読まない方がいいかも。もちろん観劇前に内容を知ってたって楽しめると思うし、一度だけの観劇とかだったら事前情報を踏まえて自分なりの注目ポイントを搾っておくのもいいことかもしれないとも思う。そもそも僕は個人的にネタバレって気にしない方で、「私の知らないことなんだから他人はその話をしちゃいけないのだ!」って声高に主張するのはいささか傲慢なんじゃないかって気がするんだけども……そりゃまた別の話か。


 二度目の観劇は、主役ケンスケのメインの流れよりも、ヒカリ・コジロウ・シミズといった脇の流れに注目した。一度目の時は音楽とダンスの高揚感に引っ張られ、コミカルなやりとりやアドリブに目がいきがちだったんで、そうじゃないとこに目を向けるように意識した。
 今回の脚本は、事前に脚本会議で話し合っていくつかの変更がされたとはいえ、基本的に初演時のものを踏襲している。僕も初演準備の時点で脚本作りに参加して結構な場面を自分で書いたわけだけど――そもそも大長編である原作を二時間の舞台にするのが無茶なわけで、当然のように大量の場面がカットされたし、ヒカリやコジロウについてはかなり強引にまとめたって感覚があった。かといって、初日の舞台でその二人が掴めなかったかというとそんなことはなく、ちゃんとそれぞれの存在感が伝わってきた。どうしてそうなってるのかが気になっていたのである。
 たとえば、序盤でじいちゃんが亡くなった日のことをケンスケが回想するシーンがある。祖父の死だけでも充分に衝撃的なのだが、コジロウはそこでもう1つ別のショックを受けている。そして居合わせたいとこたちは、大人になったらカレー屋をやろうと約束するんだけど――脚本上はヒカリがコジロウの意思を尋ね、コジロウは「別に、いいけど」と答えるだけである。
 それが今回の舞台、二度目の鑑賞で確認したところ、「一人ショックを抱えて身を固くしているコジロウに、ヒカリがそっと寄り添う」っていう形で表現されていた。その構図がすごく象徴的で、観ている側にはコジロウの疎外感と人を思いやるヒカリって形で伝わってくる。その要素は、やがて二人がそれぞれ大人になった時につながって、登場人物を立体的に形作っているのだ。この場面の芝居が役者発信なのか演出発信なのか知らないけれど、序盤にしっかりこういう布石を打っておこうと考えた人には敬意を抱いちゃうなあ。
 ヒカリはその後、小説を書くことで自分の思いとも向き合い、過去の傷を一つ乗り越える。そして彼女が本来もっている、人を思うって力が新たな創作に活かされて、彼女の新作から広がるラストシーンが導かれる。そのラストシーンの中、単独行動の多かったコジロウの疎外感は新たな絆へと昇華され、彼は確かな満足感と共にケンスケの店の壁を見つめることになる。――そこには小さなコルクボードがかかっているのだけれど、そこに貼られた写真はケンスケの旅の軌跡でもある。いろんなことが視覚的に象徴化されていて、ラストシーンに広がる満足感の一つの流れは、そういうコジロウの感情の流れからきてると思うんだよね。
 そのコジロウとの因縁を抱えてるのがシミズで、実は最後の最後に彼は舞台上にはいない。コジロウとの間に和解がもたらされることもなく、孤独といえば孤独な終わり方かもしれない。だけどラストに至る前、闇市のシーンでシミズの抱いた夢が描かれてたおかげで、彼なりに納得して去っていることがしっかり伝わってくる。その効果は、シミズがケンザブロウに向かって土下座する時に、どれほどの感情がそこにこめられているかにかかってると思うんだけど、いや二度目の観劇で確かめてみたら――腕の筋肉がわなわな震えるくらいに力がこもってて、迫力あったなあ。
 その闇市の場面の盛り上がりから現代時制に戻すのはヒカリの一人語り。ここにもしっかり力がこもってるのが良かった。初日の後、裏で聞いたところ、場面転換のセットチェンジの音に負けないように声を張るのが大変って話だったけど、このモノローグ場面はそういう物理的な意味に加えて象徴的な意味合いも大きい。ヒカリはシミズとケンザブロウの思いの強さを受け止めつつ、流れを自分の芝居に持って行った上で、思いのバトンをケンスケに渡してるのだ。ラスト前のクライマックスでもって、そういう力の拮抗が見られるのは素晴らしいなあと思う。
 実を言うと、僕は初演の時から、この舞台で一番好きな台詞はここのヒカリのモノローグだと言ってきた。この台詞を書いたのは僕ではないんだけど、原作者としてそれが悔しいって思ってたくらいなのだ。書いたのは初演の演出の深作さんで、稽古場で作り上げていく段階で、場面転換の間をつなぐために足したという話だった。でも僕がこの台詞を好きなのは、間をつなぐってだけじゃなく、時代を超えて人の思いをつないでもいるからなんだと、今回の観劇でようやく理解することができた。ヒカリはカレーライスという料理のことを語っているのと同時に、そういう人と人のつながりについても語っているのだ。
 そういうことが実感として掴めたって意味で、僕自身もいろいろと勉強になったなあ。


 事前の脚本会議の際、演出の松森さんは、登場人物それぞれの葛藤を粒だてたいと言っていた。サトルが内心を吐露したりコジロウがケンスケと衝突したりってシーンを描きたいので、たとえばインド編なら原作にあるガンジス河のシーンを描きたいと言っていたのだ。
 僕はそれに対し、こういう展開でこういう場面を描いちゃどうかと提案したんだけど、制作サイドから反対意見が出た。そういう気持ちも分かるし、それができたら素晴らしいのだが、上演時間の枠は定まってるわけで、それをやってる時間があるとは思えないってことで、実にもっともな正論である。結局ガンジス河のシーンも実現しなかったわけだけど、サトルの葛藤については他で描かれていた。
 ワタルとの衝突のシーンでサトルの抱えた問題が提示され、ラストシーンでサトルが強く「ここが俺の居場所」と語ることで、ガンジスで語られるべきことの多くは表現されてたような気がする。一から十まできっちり説明するってことじゃなく、役者が力強く一と十を演じきることによって、二から九までの要素は観客の心の中で構成されるってところもあると思うんだよね。
 書き手としての僕は、ついつい足し算の発想で「ガンジス河のシーンを足せばいい」とか思っちゃうんだけど(だから本が厚くなる)、ぎりぎりまでそぎ落として象徴化に繋げるって中でも同じようなことはできる。もちろん、作り手の意図したことの全部が全部、全ての観客に伝わるってことはないのかもしれないけれど、総体としての満足感さえ抱いてもらえば、あとはそれぞれの観客ごとに受け取りたいものを受け取ってくれるってことなのかもしれない。
 実際、それぞれの役者さんのコアなファンの感想なんかを読んだり聞いたりしてみると、一見しただけで贔屓の役についてはびっくりするほど多くの情報を受け止めていたりする。こんだけの情報量を二時間に詰め込んでる以上、客側はそこから欲しい情報だけ受け止める、いや受け流したって構わない、って姿勢で作っていくのも一つの作劇術なのかもね。
 そんなわけで、いろいろ勉強になっていろいろ考えさせてもらった舞台でした。――この勢いで『ホラベンチャー!』の最終回の執筆に挑みたいと思うし、またどこかで演劇の脚本を書いてみたいなあと思う。今回の関係者やお客様の中でどなたか、この原作に名前が書いてあるタケウチって奴に脚本を書かせてみたいなーって方はいませんかー?

カレーライフとホップフィクション

劇場ロビーで僕の本も売ってます

 舞台『カレーライフ』2015年版の初日。観劇のため、午後から上京。
 残念ながら諸般の事情でマチネには間に合わない。でも新幹線の中で時計を眺めた時にふと思いつき、「この時間なら四場くらいでアメリカ編か?」なんて計算してみる。脚本はだいたい頭に入ってるので、そうやって考えるのも楽しいもんだった。
 六本木に着いてたら劇場行く前に別の用事でビアパブへ。開店早々に待ち合わせして、どうもどうもと会食。観劇の前に一杯やってくってのも、ちょっと贅沢というか優雅な気分が味わえる。
 酔ったのは、じゃなくて寄ったのは、スコットランドBREW DOGってメーカーのブルーパブhttp://brewdogbar.jp/roppongi/)。こないだ稽古場のそばの店で飲んだIPAがうまかったのでネットで調べてみたところ、なんと公演会場のすぐ近くにアジア唯一の直営店があることが分かったのだ。こりゃあ何かの縁だし、寄るのは不可抗力ってことにした。
 それが正解で、ものすごくクォリティーの高い店だった。ホップ使いの魔術師って異名のあるブルワリーだそうだが、どのビールも香り高く飲みやすく、それでいてボディもガツっと麦芽のきいた飲みごたえ。同席した方はビールというと日本の大手メーカーの定番の味ってイメージが強くてエール系のビールはよく知らないらしかったが、飲み比べセットのいろんな味に感動しておられた。
 僕が一番気に入ったのは、Hop Fictionっていう銘柄のペールエール。素晴らしく華やかな香りと飲みやすさに感動した。ここはまた来たい、っつうか今度はお取り寄せして飲むことにしたい。


 へべれけになるまで飲みたい店だったが、ぐっとこらえて軽めにおさえ、六本木ブルーシアターへ。なんだか随分と妙な場所にできてる劇場である。
 舞台裏で関係者に挨拶し、「社会科見学してきていいですか?」と細い通路をぶらぶら。セットの裏側とかまとめてある小道具とかを眺めるのって妙にわくわくする。
 制作ルームのモニターで画面を見たら、劇中で使われる映像のチェック作業の真っ最中だった。演出家から映像の話は聞いてたが、見るのは初めてだったし、思ってたよりずっと派手な感じでびっくり。おまけに開演してみたら、冒頭からその映像に合わせて音楽とダンスでどばーんと盛り上げる演出で、こりゃあすごいや感動を覚えた。
 4年前に初演があって、それを踏まえて別のものを作ろうっていうのが今回のコンセプトだったんだけど、冒頭からエンターテイメント方向に振り切る勢いがすごかった。今回からサックス生演奏が入って丹澤誠二さんが演技と演奏を受け持ってたんだけど、音楽がその場の空気を作ってく様が圧巻だった。
 主役ケンスケの玉城裕規さんは表現力豊かに主人公の感情を掘り下げていた。自分の演技に華があるってだけじゃなく、周りの役者の芝居に応じての受けの芝居が見事で、さすが座長って感じだった。どんなアドリブにもアクシデントにも即応してる様は、彼が言ってた「舞台で生きる」ってことを見事に体現してるようだった。
 冒頭で主人公の前に現れ、全体の問題提起を行うシミズ役はキャスト最年長の俊藤光利さん。歯切れのいいセリフ回しで脚本の情報が客席に伝わってくあたりが知的な印象。――終演後に話したら本人は納得いってないとのことで、闇市のシーンとか、もっと前に出るはずだったのかな。
 お話に戻り、滝口幸広さん演じるワタルが登場、活躍しはじめると客席の笑いの量がぐっと増した気がした。どうやら初日からアドリブ全開のようで、マチネを観た人がソワレで余計に笑ってる気配。中盤で客席いじりもあったし、軽妙な芝居と共に毎回違うネタをぶっこむ方針のようで、毎日劇場に通う人の気持ちがちょっと分かった。
 アメリカ編でヒカリ役の岡本玲さんが登場すると、ぱっと舞台が華やいだ。いとこの中で一番のお姉さんという設定のヒカリだが、実際の岡本さんは最年少で、そのあたりがどう影響するかと思ってたら、ちゃんと「いばりんぼのお姉さんだけどチャーミング」って見えたのがよかった。賭けの提案とか終盤の小説とか、自分の芝居でリードしてくとこも迫力あったし。
 アメリカ編ではチャーミングというかグラマラスな雰囲気を出してたリンダ役の内田亜希子さん。何役もこなしてたんだけど、そのたびにメイクだけじゃなく立ち居振る舞いから役を作ってるのが見事だった。続くインド編ではチナツ役に変わってガラッと別人に見えるんだけど、立ったり歩いたりの際、重心のかけかたから違ってるんだよね。
 そして一人五役といえば大口兼五……じゃなかった兼悟さん。彼だけは初演から続投してるキャストなんだけど、前回ともまた違った芝居になってるのがすごい。エディーやヤマカワの外見はほぼ同じでも、ディティールの詰め方が違う感じ。他のキャストとの兼ね合いで芝居を作ってる要素も大きいからなんだろうけど、ある意味じゃ一人九役みたいなもんである。
 インド編で悪役ヤマカワと対決するサトル役の長濱慎さんは、高身長で声の通りがよくて、しっかりしたお兄さん役だなーって印象。もともとサトルってキャラクターは原作を脚本化する時点で一段成長して強くなってんだけど、その強さを体現してる存在感があった。場面転換の時にアンサンブルでダンスする時とかも、キレのよさが際立ってたなあ。
 そして、六場の沖縄編でキーパーソンとなるコジロウ役の丸山敦史さん。実は脚本会議の段階から、コジロウには三場のラストで笑いをとってほしいってリクエストを伝えといたんだけど、それを見事に果たしてくれてたし、六場に秘めた暗い思いからラストの八場で見せた満足げな表情への転換が際立ってて、演出家が事前に言ってた「それぞれの思いを際立たせたい」って狙いもクリアしてくれてるようだった。


 初演の時は、震災直後の2011年3月に稽古、5月に上演って感じだったこともあり、闇市のシーンが感動の中心になっていた印象がある。特に11月に朗読劇化された時には、そこで客席にすすり泣きが目立ってたのをよく覚えている。
 それが今回の再演になったら、中心点はどうも違う印象を抱いた。僕は脚本会議で提案したりパンフのエッセイに書いたりしたように「再結集」っていうテーマを追っかけてほしいって思ってたんだけど、ラストシーンでケンスケが父親に語りかける台詞がそれを引き受けてある種の核になってた気がする。
 そしてエンタメとして客席を楽しませるってことに常に貪欲な芝居となっていて、それがラストに多幸感となって幕が下りた。――観劇前にHop Fictionってビールを飲んだわけだけど、舞台の方もまさにホップフィクション、“跳びはね、飛び回るようなお話”になっていたように思う。原作者として、そして客席の一人として、見に行ってよかったと素直に思える舞台だったし、こりゃ無理してでももう一度見にいきたいなーと思っている。
 ネットを見回すとたくさんのお客さんも同様に満足してくれてるようなのが嬉しいかぎり。ご興味お持ちの方はぜひ足を運んでみてください。

『カレーライフ』上京とブルーパブ散策

UP主ごとに微妙に異なる集合写真

 朝からカレー食って上京。舞台『カレーライフ』2015年版の顔寄せ&本読みの日だから、験担ぎで朝からカレー……というわけでもない。留守の間、友人がくろべーの面倒をみにきてくれることになったので、滞在中の食事にどーぞってことでスパイスから一鍋作っといたのだ。

カレーライフ (集英社文庫)

カレーライフ (集英社文庫)

 日頃滅多に上京しない身なので、せっかくだから他の用事や楽しみも兼ねることにした。昼前に東京に着いて他の仕事の打ち合わせをしたり駅前散策&食べ歩きを楽しんだり。おかげで稽古の後で寄りたくなるよな美味しい店に立て続けで遭遇できて、これから稽古場に通う人が羨ましくなっちゃった。
 昼食をとった、カウンター型のお寿司屋さんは自家製筋子穴子の握りが絶品。お任せコースっぽい流れで筋子の握りが出てきたんだけど、これが生まれて初めて筋子のお寿司が美味しいと思えたほどの味で、これほど味付けが上手なお店ならアナゴも食べずにゃおられんって感じだった(僕はウナギよりもアナゴが好きなのだ)。穴子寿司も普通にふっくらおいしいだけじゃなく、最初の1貫は塩味で煮てあるとこに柚子の風味をきかせてさっぱりまとめ、次の一環は甘辛いツメでしっかり味付けって感じのコンビネーションが絶妙。……是非また来たいと思った店だったし、稽古の後でご馳走って時にぴったりって気がするので関係者におすすめ。(詳しい場所等はおいらにお問い合わせあれ)
 食事の後、喫茶店で打ち合わせ。連載小説『ホラベンチャー!』の終盤についての相談の他、春に刊行した『ぱらっぱフーガ』が、早くも神奈川県の高校入試の試験問題になったという事後報告の書類を渡されてびっくり。いや試験問題になることにはすっかり慣れたし、試験の性質上事後報告も当然なんだけど……僕にしちゃあラブシーンの多い『ぱらっぱフーガ』は試験問題にゃあなりづらいかと思ってたのだ。秋のこの時期に入試をやってるってことも意外っちゃあ意外。またこの試験問題の文章が結構難しいんだよね。いや僕の文章は別に難しいこたあ書いてないけど、設問や選択肢の文章を読解するのが大変そうというか。
ぱらっぱフーガ

ぱらっぱフーガ

 そんな話の最中、プロデューサーから電話がかかってきた。ちゃんと来てるかどうか確認だったので「近所の喫茶店にいますよー」と答え、時間ぴったりに行ってみたのだが、既にキャストスタッフ勢ぞろい状態で、どーやら僕が最後だったらしい。おまけに素人なもんで、土足禁止の稽古場に靴のまま入っちゃってたのを注意され、入場したその瞬間から大汗かいちゃった。
 初演の時の顔寄せに比べると、ちょっと小さめの会場(大きいとこは他のことで塞がってたみたい)で、人数もちょっと少なめで和やかな雰囲気だった。初演の時は参加者みんな「よろしくお願いします」と一礼する以外は発言しないような緊張感ある雰囲気だったんだけど、今回はもっとリラックスできてほっとした。前回の雰囲気で遅刻(いや今回は定刻到着で遅刻ではないんだけど)や土足をやらかしてたら、もっともっと汗かいてただろーな。
 稽古場中央にロの字型に長テーブルが組まれ、その3辺を役者さんたちが占め、残る1辺に演出助手・演出・脚本・原作と並ぶ形だった。演出家の正面には座長の玉城裕規さん、その後ろには芸能事務所関係者や主催・協賛企業関係者が並び、演出家の松森さんの後ろにはスタッフ陣の席が並んで、全体的にはキャストとスタッフが向かい合う形になっている。そしてプロデューサー陣の席は審判のように側辺に用意されてて、なるほどキャストとスタッフを結ぶ役割なのかーと、ヴィジュアル的に納得するのはちょっとした社会見学気分。演出家・原作者・脚本家と挨拶する場面もあったりしたんだけど、真面目に語るお二人の間で一人笑いをとりにいってた原作者のおいらであった。


 顔寄せの後、休憩を挟んで本読み開始。今回の上京のメインの目的はこのイベントである。プロの役者さんが僕の書いたストーリーやセリフを読んでくれるだけでも面白くて勉強になるし、稽古で練り上げる前のファーストアプローチってことでいろいろ発見があるものなのだ。
 例えば演技と朗読の割合が人によって違う。別に何が正解ってわけでもないから、役者それぞれの性格やアプローチ次第なんだろう。既に台詞が入ってる気配を漂わせる役者さんもいるし、台詞に表情や仕草を交える人もいれば、ぐわっと台本に見入って朗読感満点の人もいる。他の役者の台詞に挑みかかるように間を詰めて食い気味に喋っったり、掛け合いの中でテンポアップしていったり、そういう化学反応も面白い。
 序盤、みんな真面目に感情込めて読んでるのを聞きながら、内心で「いやいや、そんなシリアスじゃなくてもっと軽くまくしたてたり、ボケとツッコミを際立たせたりしてほしいなー」なんて思ってた僕だけど、考えてみればこれは僕自身への反省でもある。コメディーを書きたいと思いつつそこに徹底できず、日頃から小説って形式の中でシリアスとコミカルのせめぎ合いをしながら書いてるとこがあるのだ。『カレーライフ』を書いた時もまさにそうだったし、その感覚が本読みの場で立体的に立ち上がってくるようだった。「その長台詞は単なる説明にならないように、時にコミカルに時に唄うように」なんて思ってたのは、自分の小説にもそのまま当てはまる注意事項な気がするなあ。
 そんな中、ふっと隣の席のシミズ役・俊藤光利さんの忍び笑い頻度が高いことに気づいた。キャストやスタッフの言い方や反応に目敏く気づいてくすっとしてることが多くて、横の僕にまで面白さが伝わってくるのが楽しい。自分の台詞でも時々笑いをとってたし、シリアス系の男前に見えてコメディーもいける役者さんなのかもしれない。
 笑いといえば、たぶん一番笑いをとってたのは何役もこなしてた内田亜希子さんの終盤のアプローチだった気がする。思いもよらぬ役作りというか……声色ひとつでみんなの意表をついて笑いを誘ってる様が見事だった。誰も思いつかなかったけど、別に脚本から外れてるわけじゃないし、そういう役作りもありなんだよなーと目から鱗。今後稽古を経てその演技プランが生き残るかどーかは不明だけど、個人的にはまたどこかで耳にしてみたいなあ。
 休憩中、何かの拍子に内田さんと喋ることができたので、さっきの演技がどういう設定だったのかお尋ねしてみた。他の役者との関係性にも思わぬ物語があってさらに笑わせてもらえたし、僕が現在連載中の『ホラベンチャー!』の話題になったら読んでくれるって言ってもらえて嬉しいかぎり。いやこれからの稽古で忙しくなったら読んでる余裕ないかもしれないけど、僕の中で「今後『ホラベンチャー!』が舞台化や映像化されるとしたらヒロイン希未を演じてほしい女優さんNO1」は内田さんになりました。――つい長くなりがちなせいで短くまとめろと言われてる連載の中、ヒロインの出番はどんどん減っちゃってるんだけども。
 女優さんといえば、本読みがラストまで行った後で演出と役者で演技の掘り下げというか質疑応答みたいな時間があったんだけど、その時に岡本玲さんから「ヒカリは妹がいるんですよね?」と尋ねられて驚いた。ヒカリの妹って、原作には出てるけど舞台には出てこないキャラクターなのだ。だけど妹の存在を踏まえてヒカリの内面を掘り下げると、他の従兄弟に対する態度につながっていく。僕は原作でも脚本でも「お姉さん型」って設定だけで書いたところがある気がするんだけど、役者さんはそこからもう一段深めて内面の動機づけをしてくれてるのだ。さすがだなーと思ったし、そういうアプローチって書き手としてすごく勉強になる。


 てなわけで、いろいろ楽しく有意義だった時間が過ぎて、夕方に「お先に失礼しまーす」と稽古場を出たんだけど、頭の中がちょっと知恵熱な感じの高揚状態だったので、街をぶらついてクールダウンしていくことにした。
 都内某駅の駅前は、細い路地が入り組んでてそこでいろんな店がやってる、下町の賑わいあふれる街である。夜中はちょっとおっかなそうだけど、軽く飲み食い一杯飲もうと思うと魅力的な散策スポットなので、このまま帰ったらもったいない。おでん種屋さん(おでん屋ではなくおでんの具を揚げたてで売ってる)でツマミを買って立ち食い、ブルワリーパブで軽くビールをひっかけて、〆はやっぱりカレーでしょってことでカレースタンドで昔懐かしいカレーライス。黄色の強い、ターメリックのカレー粉たっぷりのカレーに満足して帰りの電車に乗り込んだ。
 ちなみに、このブルーパブは稽古場からもそう遠くないし、オリジナルのエールや世界各国のクラフトビールが置いてある名店だった。散策してるうちに見つけ、英国パブ風の店構えに一目でひかれたんだけど、店名をよく見りゃ前にビール関係の文献で紹介されてた店で、こりゃあまっすぐ帰ったりしないでよかった。『ビールボーイズ』作者として是非チェックしときたい店である。――美味しいクラフトビールを揃えてる上に英国パブ式に個別会計可能で「乾杯だけ奢る」とか「料理だけ奢る」とかが可能な店ので、稽古帰りに一杯やりたい関係者に是非おすすめであります。(こちらも詳しい場所等はおいらにお問い合わせあれ)

ビールボーイズ

ビールボーイズ

 帰宅してくろべーと再会、世話してくれた友人にお礼を言っておみやげ渡し……って感じで、『カレーライフ』の本番の公演期間中にもそうやって、留守番というかくろべーのお守役を引き受けてくれる方を探してるんですが、誰かいませんかー?